私は、自分の内宇宙のイメージ世界から絵と彫刻の題材を選びだし、作品を創っていました。1990年頃、私は、自分の内宇宙のイメージ世界に飽きたらなくなってきました。「宇宙に広さや大きさや深さや高さといった概念が存在するのか?」は、わかりませんが、観念的に私の内宇宙の無限の広がりを信じています。自分の心イメージを求めて、内宇宙を、さらに深く進んで行きました。そして、私は、形にならないイメージ、言葉に訳せないメッセージのある内宇宙へ辿りつきました。その形にならないイメージと言葉に訳せないメッセージを表現したいと思いました。そのイメージとメッセージを「抽象文字のような線」を使うことで絵を描き始めました。
幾つかの要因が私に起こって、結果的に密教にであいました。密教の宇宙観を理論的に理解することからはじまりました。そして、総べての事象「例えば、聖と俗、善と悪のように対極的に矛盾する事柄であっても」が同一に内在する密教観は、私を納得させ、興奮させました。その密教観は、私が創造して描きたいと願っている私のイメージを肯定し、さらに行き着く先を教えてくれたからです。ある日、私は、真言(マントラ)を唱えながら「抽象文字のような線」を描きました。すると、素直に心のイメージを描き現すこと(心のイメージを引き出すこと)が出来るようになりました。「形にならないイメージ」と「言葉に訳せないメッセージ」のある内宇宙は、私の魂の存在する処であり、心の起源であり、曼陀羅界でした。私は、私の内に存在する諸仏を描きはじめました。例えば、地蔵菩薩を描く場合、私は、外見的仏像としての地蔵菩薩をイメージするのでなく、観念的に存在する地蔵菩薩をイメージします。そして、私は、地蔵菩薩の真言「おんかーかーかびさんまえいそわか」を「抽象文字のような線」で手の動くままに描いてゆきます。その線が重なりあって絵が構成されてゆきます。絵を描いている私にとって、その絵は、「おんかーかーかびさんまえいそわか」であり、地蔵菩薩なのです。真言(マントラ)は、言葉として存在しているのではなく仏そのものとして存在しているのです。